あたり前のことの中には、たとえば、今日では医師はもはや神官や秘儀の伝承者のような形で尊崇の念を抱かせることはできないので、患者の信頼や一定の愛着を得るようにその人格の陶冶に努めることなどがある。一人の医師がこうした方法で成果を上げられる患者の数は限られており、他の患者はその教養の程度や好き嫌いによって別の医師に引き付けられる。そうして、患者が目指すところに応じて振り分けられていくのにそれは役に立つのであある。医師を自由に選択することができなくなれば、患者に心理的な影響を与えるための一つの重要な条件を無くしてしまうこととなるであろう。
(「心的治療(心の治療)」 「フロイト全集第1巻」より)
引用元の著作は、フロイトが精神分析を創設するかなり以前1890年に記したものである。したがって、ここでいう「心的治療」とは、今日の概念では「心療内科」という時の「心療」に相当するような広い意味をもつ。
フロイトは、この文章の時点ですでに、心理療法におけるとても重要な点について指摘している。それは、患者と医者の相性ということだ。
患者と医者に相性があるというのは、精神科や心療内科、あるいは身体的治療における心理的な部分にかぎられる。内科や外科では、個々の医者の全体的な技術の高い低い、あるいは疾患分野によっての得手不得手ということはあるだろうが、患者と医者の相性ということは問題にならないだろう。
患者にとって医者を選ぶというのは当然の権利であるが、それは心理療法の分野においては自分と相性の良い医者を選ぶということである。
そして、医者にとってそれは、「自分がすべての患者を治せるわけではない」という、あたりまえの限界を知るということである。これが実は意外にむずかしいのは、精神科医になるような人物は、治療に自己実現や万能感を、気づかぬうちに求めてしまいがちだからであろう。
tagPlaceholderカテゴリ:
コメントをお書きください